作品 Works
トレーシングフィルムにアクリル絵具とチャコール
30×30cm
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平仮名の「す」は、今使われている形なるまでに、いろいろな姿を経てきた。
これは「春」を字母とした「す」だ。日常的には読めない書けない。
そうなるには歴史や地勢といった、時空をまたいだ事情をはらんでいる。
それは今の日本人がアイデンティティを忘れてしまった事情に似ている。
トレーシングフィルムに墨汁とアクリル絵具とソリッドマーカとチャコール
45×60cm
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伊達政宗の書状を書き写した。余白には有象無象の時空がうごめいている。今はもう形が変わってしまった文字で書かれていても、約400年前の武将の気持ちと息づかいを現代の私に伝える。遠い昔の死と今の生がここに在る。これが書の魔力だ。
Acrylic and solid marker on tracing film
トレーシングフィルムにアクリル絵具とソリッドマーカー
34.8×42.4cm
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語は人間のモノだが、人間とは違う時空を形成して生きているのではないか。
その生きざまをAIやネットで統合してゆけば、人間は扱いやすくなる。
それでいいのか?語も人間も面倒臭さを残してもいいじゃないか。
白色アクリル板にソリッドマーカーとアクリル絵具
縦110cm×横61cm×厚0.3cm
「語」には遠近法があるのではないか。それは平面表現の遠近法と対峙する、もっと複雑で面倒な一種の文法だ。
遠近法の中でも一点透視図法は、圧倒的に立体的なイリュージョンをもたらす。それは欧米が日本を容易に圧倒してきた姿と重なる。そして今の時代、AIやネットの発達によって「語」は統合されていく方向にある。これも欧米主導だ。まるで一点透視図法の遠近法のように言葉や文化、そして歴史すら消失点はひとつという世界に向かっているのではないか。
その「語」が真実か嘘か、自由のためか支配されるためのものか。私は「語の遠近法」にのっとりそれを問う。