作品 Works

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つつむ次元
つつむ.jpg
54×29.6cm
アクリル板にジェッソとアクリル絵具とペイントマーカー

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「つつむ」と平仮名でかいた。これは、大脳と松果体を表す文字絵だ。
人の松果体は左右の大脳につつまれている。2億年以上前に水中で暮らしていた脊椎動物の頭頂にあった眼が退化したのが松果体だ。今は直接物を見ることはなく、光を感じて体のリズムを調整するホルモンを出しているとされている。

人が二つの眼球を通して視覚した情報は大脳に伝わり、この3次元の現実世界を鮮明に映し出す。この地球上で肉体を順応させるためにそう進化してきた。その結果、生きのびるために見えなくてもよいと肉体が判断して、人に見えなくなったモノもあるだろう。それは3次元を超えた高次元の意識なのではないか。46億年前に地球という星が物質として誕生するまえから存在していたものだ。

人類は20万年前に誕生したころにはまだあった能力を脳の奥につつみ込んで今に至るのだろう。そして現代の人と地球との関係を見て、大切な何かから目をそらしてきたと多くの人が気づいている。いや、多くの人が目をそらされてきたというべきか。

でも人は誰でも大脳に松果体をつつんでもっている。松果体は眼として退化した今でも光を感じて働いているのだから、高次元を感知する能力も残っているはずだ。その能力を更に開いて高次元の意識に目を向けてみてはどうだろう。きっと人類として生きる方針が見えてくるだろう。

文字は人の意識が集積してカタチとなって生まれる。この作品は文字で言葉を絵にすることで意識を具象化する試みだ。人の意識が3次元を超えて高次元に開放されることを願って。
くらし時空
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15×15cm
和紙に墨汁

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くずして「くらし」と並べて書いている。が、やっているのは、文字の合間の余白を削り出しだ。

石膏デッサンは空気を描くものとされているが、それに似ている。紙に黒い影をかいて、それを取り巻く空間を明らかにする。結果、描く対象の石膏像が見えてくる。

「くらし」の合間にあるのはなんだろう。「くらし」はなんだか立て込んでいて、それしかなくなる。認識されない現象は存在しても静止したままだ。

たぶん、探して探して見つかるのは、ありきたりで言い古されたことなのだろう。だけど、それを探しだそう。

阿吽の時空
阿吽の時空_893×693sq.jpg

89.3×69.3cm

トレーシングフィルムに

アクリル絵具とペイントマーカー

 

 漢字「阿吽(あうん)」を、「時空」を意味するラインでつなげた。

 

「阿吽」は神聖な意識だ。

対立するものが一つに調和すること。

迷い苦しみを経てバランスをとって一体化するということ。

「阿」はこの世の「始まり」、「吽」はこの世の「終わり」を意味する。

 

この世が始まってまだ終わりを迎えていない「今」とは

「阿」と「吽」の間にある「時間と空間」だ。

それは幾多の命が生まれ死にゆく営みの場=「時空」だ。

 

だから対立や争いと、共感や平和が

乱立していて然るべきなのではないか。

「阿」から始まったこの世が調和で満たされ、

「時空」が「吽」にたどりついた時、人は豊かに溶けあうのだろう。

もともと「始まり」と「終わり」も一体の

調和のなかに在ったと気付くということか。

う意識
う意識_01.jpg

21×21cm

画仙紙に墨汁と油性マーカー

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2次元は高次元の影だ。

3次元の物体に光を当てると2次元の影ができるように、3次元よりさらに高い次元の存在の影が2次元なのではないか。

 

現在使われる平仮名「う」は漢字「宇」の意味を削ぎ落として音を表すカタチになった。日本語を文字にして伝えたいという先人の意識の表れだ。

 

意識は高次元の存在だ。当たり前のことだが、まだ科学的には証明されてない。物を頼りにするこの世で主張しても無駄なことか。と、思っていたけれど時代は進んでいて、一部の先進的は層ではもう当たりはだいぶ前にひっくりかえっているようだ。

 

私は文字に意識の姿を見る。それは意識の影なのだろう。この作品は平仮名「う」が2次元に縛られずに次元を自由に行き来している姿を描いている。3-4次元のこの世で高次元の気配を表現している。もちろん、私の主観の塊だ。

う意識
う意識_02*.jpg

21×21cm

画仙紙に墨汁と油性マーカー

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2次元は高次元の影だ。

3次元の物体に光を当てると2次元の影ができるように、3次元よりさらに高い次元の存在の影が2次元なのではないか。

 

現在使われる平仮名「う」は漢字「宇」の意味を削ぎ落として音を表すカタチになった。日本語を文字にして伝えたいという先人の意識の表れだ。

 

意識は高次元の存在だ。当たり前のことだが、まだ科学的には証明されてない。物を頼りにするこの世で主張しても無駄なことか。と、思っていたけれど時代は進んでいて、一部の先進的は層ではもう当たりはだいぶ前にひっくりかえっているようだ。

 

私は文字に意識の姿を見る。それは意識の影なのだろう。この作品は平仮名「う」が2次元に縛られずに次元を自由に行き来している姿を描いている。3-4次元のこの世で高次元の気配を表現している。もちろん、私の主観の塊だ。

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