作品 Works

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私は命。でも命のすべてではない。
私は命_17.5×15.jpg

I am life. But I am not all of life.
12×23cm
プラスティック板にアクリル絵具
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「私は何だろう」とふと考える。いろいろな言葉が思い浮かぶが、最もシンプルに言えば「命」なのだと思う。そして、私は命全体の流れの部分として、どこからかここに来たのだろう。いま生きているすべてがそうなのだろう…と考える。

漢字の「命」には、「口」が含まれている。その口にどこか異世界への出入り口を意味する穴を開けた。

「命」という言葉は、個と全体との関係を考えさせる。有限で取るに足りない私と、無限な集合体としての命。ひとつの言葉が部分も全体も意味するように、私もまた命全体の部分なのだ。

そう考えて「私は命。でもすべての命ではない。」と記した。

カスミを喰う
カスミを喰う_12×23.jpg

12×23cm

プラスティック板にアクリル絵具と色鉛筆

カスミを喰う/Eating mist
カスミを食喰う.jpg

37×17cm
アクリル板にアクリル絵具.
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私には、人生の夢というか目標がある。それは、「カスミを喰って生きる」ことだ。

仙人は霧を食べて生きるらしい。また、実際に不食で生活している人々もいるらしい。彼らは「プラーナ」と呼ばれる空気中のエネルギーを体内に取り入れ、それによって健康的な生活を送っているという。どちらも素敵で目標にしたい。

しかし、「霞を喰う」という言葉には、もともと貧しさを揶揄する意味や、非現実的な夢を追い求めて足元が定まらない様子を表す意味が込められている。

言葉の意味とは流動的なものであり、時代や文脈によってその解釈は変化するものである。たとえば、現代の日本語で「霞」といえば、霧のような物質を指す場合もあれば、比喩的な意味で用いられる場合もある。異なる言語や時代においては、さらに別の意味を持つだろう。

雲のような形に「カスミ」と書いた。文字が流されて散っている。あえて「霞」という漢字を用いなかったのは、その漢字が持つ意味や現象が固定化されてしまうからだから。そして、カスミを喰っている口を開けた。これは、私の目標でもあり現実でもあるからだ。作品に空いた口は異空間への出入り口を意味する。だが現実に口の向こうは日常的なこの世の空間に過ぎない。

果たして私は「カスミを喰って生きる」ことができるようになるのか。

いみ時空
いみ時空_大82.3×62.3sq.jpg
83.2×62.3cm
トレーシングフィルムにアクリル絵具とマーカー
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くずした仮名で「いみ」と書いた。元になっている漢字は「以見」。「見=み」は明治時代に仮名遣いが整理される際に廃止された変体仮名の一つだ。かつては一般的に使われていたが、約100年の間にほとんど読めない文字になってしまった。
文字自体が存在する「いみ」を考える。文字は使い勝手が重視され、時間と空間(時代と場所)によって、その意味も姿も変化する。文字は人為的な既製品だ。その変遷は、社会や人々の意識を具体的に示している。
デジタル情報社会の現代。インターネットを介して文字は一瞬で大量に交わされる。その影響で、文字の「いみ」が表面的になったように思う。手書きが深い意味や感情を伝えるような、古風な文字の在り方が消えてゆくのは惜しいのではないか。
文字が変わりゆく姿は、人の在り方に似ている。社会に流されず、自分の軸で「いみ」を吟味したい。それは自分自身が存在する「いみ」を探求することにもつながる。
いみ時空
いみ時空_30×20.jpg
30×20cm
トレーシングフィルムにアクリル絵具とマーカー
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くずした仮名で「いみ」と書いた。字母は「以」「見」。
時間と空間を漂う「いみ」。文字は時間と場所によって、意味も姿も変化する。
デジタル時代の現代、インターネットを介して文字の移動距離は長く、スピードは早く量も増えた。
文字は人為的に作られた既製品だ。その変遷は社会的な事情がどうであったか、そして人々の意識がどうあったかを具体的に示している。時代の変化とともに文字が存在する「いみ」すら変わる。
社会に流されず自分軸で「いみ」を吟味したい。
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